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3 威神(いじん)と霊のからだ
威神快楽の悟り体感





あるとき――
存在の根源から歓喜が吹き上がった。
どこから湧いてくるのか、最初はわからなかった。
でも気づいた。
ああ、そうか。
そもそも存在の根源は、“歓喜”だったんだ。
気がつけば、意図せず祈っていた。
一切の 向上を、念々と。
その祈りは自分のものではなかった。
宇宙大霊の心そのものだった。
天上界の神々がその祈りに呼応し、
歓喜の中で向上していった。
そして理解した。
――宇宙は霊体であり、
その実相は“歓喜の無限向上”だったのだ、と。



宇宙の威神快楽
僕は*遊心をもって如来を讃えた。
その瞬間、自我の蓋がふっと外れた。
まるで掘り当てた温泉が吹き出すように、
内側から歓喜があふれた。


同時に――
威神快楽(いじんけらく)の体感が全身に満ちた。
何という快感......。
細胞ひとつひとつが快く震動し、
全宇宙と響き合っている。
*遊心は、子どものような自由な発想や創造の源泉なんだよ。霊性の発達に必要な四つの心の一つ。誰でも氣で認識することができるようになるんだ。





入我我入――宇宙と響き合う

その震動は、僕だけのものではなかった。
僕のすべての細胞が、宇宙のすべての原子と
互いに響き合っていた。
*霊応身(れいおうじん)と僕とは――
互いに含み合い、入れ合い、震動し合っていた。
威神応身は、外なる聖霊であり、
同時に、内なる仏――僕自身のそして一切の根源だった。





霊のからだ
阿弥陀如来の姿で現れたのは、
威神(神々しいスーパーパワーを持った)霊応身――
僕が認識できるように、
約二メートルほどの大きさに変化(へんげ)していた。


その存在は、
僕の最低で暗い部分にさえ、
最高のユーモアと喜びをもって触れてくださった。
静かに――
僕の内から喜びを湧き出させてくださった。


それは幻ではなかった。
まぎれもない、目の前の現実だった。

威神快楽の体感
僕の細胞も、原子も、素粒子も――
宇宙のすべてと溶け合い、響き合っていた。
あらゆるものが互いに讃え合い、
歓喜し合いながら、無限に向上していた。
――これこそが、存在本来の姿なのだと、
この体験で理解した。
*弁栄上人が教えたよ。「仏教で『霊応身』と呼ぶのは、キリスト教でいう『聖霊』のこと」なんだよ。
人の前に臨在して現れる宇宙大霊のことなんだ。


