

エピソード 1
悟りの 体 感
すべての道は、同じ山頂を目指しているんだよ!







導かれるように見出した道
「悟りの体感」を他の人も体験できるようにしたい、と僕は願った。
そして、果てしなく永い年月をかけて、その方法を探し続けた。
「悟りの体感」は言語を超えている。
だから、試行錯誤と悪戦苦闘の連続だった。
それでも、自分の無意識を言葉にしようと試みるうちに――
まったく思いがけず、
誰でも一足飛びに「悟りの体感」を得られる方法を発見したのだ。
それは、まるで導かれたような発見だった。

悟りは、もはや特別な人のものではない
本を書くとき、僕は自分に二つの約束をした。
一つ、基本的に自分が体験したことだけを書く。
もう一つ、他の人も体験できることだけを書く。
そして今、はっきり言いたい。
悟りは、もう特別な人のものじゃない。
誰でも体感できる時代が来た。


天才ではない僕ら、後世の人間は、
その教えを手がかりに修行を重ねても、
あるいはいくら知識を増やしても、
やがて行き止まりにぶつかることが少なくない。
僕が伝統の迷路にはまり込まずにすんだのは、
本当に幸運だった、と思う。




*法然(1133〜1212年)日本の僧侶。阿弥陀如来の名前を繰り返し唱える『念仏』の教えを説いたのよ。

*道元禅師(1200~1253年)は、スティーヴ・ジョブスにも影響を与えた日本の禅マスターだね。

暗号と迷路
過去の宗教的な天才たちは、
仏や神という存在を――ダイレクトに体験した。
だから、彼らが残した教えは驚くほどシンプルだ。
「ただ座りなさい」(*道元禅師)
「念仏しなさい」(*法然)
「神を愛しなさい」(イエス)
伝統宗教は、まるで暗号のような言葉たちでできている。



このとき起こった心と身体の変化を、
僕は「悟りの体感」と呼ぶことにした。
「自分は悟った!」と思ったからではない。
それが、古の修行者や宗教者たちの体験と、共通していたからだ。

大乗経典は、”生きとし生けるものを救おう”というコンセプトのお経で、紀元1〜2世紀以降に生まれたんだね。

*阿弥陀如来は仏教界のスーパースターだよ。
大乗経典の中で最も多く説かれているんだ。

宇宙大霊への目覚め
“なんて不思議なんだろう”と思った。
ある日、宇宙大霊である阿弥陀如来の実在を体験し、
僕は、霊的に目覚めた。
そのとき、ただ *阿弥陀如来のイメージを心に思い浮かべるだけで、
身も心も温かく、柔らかくなり、
大いなる愛に溶けていく自分がいた。
何も思わずとも――
宇宙一切の天上界の方々の向上を、
念々(ねんねん)願い続けている自分がいた。
第1章

誰でも悟れる時代が、はじまっている

光明の体感
自己も世界も空性で、光明が遍く十方を照らしている。

威神の体感
細胞の1つ1つがじんじんと快く振動し、宇宙一切の原子と響き合っている。

大愛の体感
宇宙大霊の大愛に身も心も溶かされ、自分の呼吸が宇宙の呼吸とシンクロしている。

本願の体感
パウロや親鸞のように、宇宙大霊に一切を任せ切った安らかな心身。
なぜ四つなのか?
それは――
法体、仏性のからだ、霊のからだ、氣のからだが、
それぞれ異なる「悟りの体感」を得ていたからだった。
悟り体感の四種
自己分析すると、
悟りの体感には、異なる四つのタイプがあった。
目に見えない四つのからだ
ある日、僕は気づいた。
肉体のほかに、見えない【四つのからだ】があることに。
それは――
法体、
仏性のからだ、
霊のからだ、
氣のからだ。
氣を感じられるようになった人を誘導すると、
誰もがこの四層を同じように体感した。
四 体

法 体
仏性のからだ
霊のからだ
氣のからだ


タオ指圧の治療実演

歩行困難だった人が走り出す。


2000年を過ぎるころには、
世界のどこへ行っても、
ほとんどの人が氣を体感できるようになっていた。
この体験をきっかけに、
僕は「悟りの体感」を共有する道を探り始めた。



*経絡は、全身を流れている生命エネルギーのことだよ。


*氣心道:喨及さんが体系化した、氣のトレーニング法だよ。


相手に触れず、氣で飛ばす。
「*氣心道」の実演

*氣は、宇宙のエネルギーを指す、中国哲学の言葉よ。

“体感”といっても、それは身体的な触覚のことではない。
ここで言う体感とは――「*氣の体感」である。
(あるいは存在の体感だ)
人間には本来、五感を超えた、
より繊細な感覚が備わっている。
この氣の体感を入り口として、人を誘導し、
「悟りの体感」を体験せしめることができるのだ。
第2章

氣がひらく、悟りの扉
氣が導く悟りの体感
1985年ごろから、
僕は「タオ指圧」を教えはじめた。
氣が流れる*経絡を通して、人を癒す方法だ。
その中で偶然、
生徒さんたちに氣を体感させる方法を発見した。
最初は一人。
次に数人。
やがて数十人が氣を感じるようになった。
